カテゴリー「ドイツ語多読」の記事

2017年2月27日 (月)

ドイツ語多読本: Andreas Brandhorst: Das Schiff

2016年ドイツSF大賞ベストドイツ語長編
http://www.dsfp.de/preistraeger/2016-2/laudatio-2016-bester-deutschsprachiger-roman
2016年クルト・ラスヴィッツ賞ベストドイツ語長編
http://www.kurd-lasswitz-preis.de/2016/KLP_2016_Bester_Roman_Laudatio.htm
のダブル受賞作。

Andreas Brandhorst: Das Schiff

130,000語


6000年後、想像したって仕方がないそんな遠い未来を舞台にできるのはSFならでは。

その頃、人間は不死を手に入れている。それは地下に広がるAIの集合体「クラスター」のおかげ。人間をはるかに超えるスピードで進化したAIには不死治療すら可能。人は30歳になると不死の治療を受け、その後は老いも病気も知らず、すべてをクラスターにまかせて、永遠の命を楽しむだけ。ただし気候変動で水面は上昇、全人口は400万人に減少。

そんな世界で主人公Adamは不死になれなかった男。ごくまれに発現する「オメガ因子」、それを持つ人間に不死治療はできない。30歳で自分もその一人だと知ったAdamもすでに92歳。外部骨格的な機械を装備しないと外出もままならない。もしくは肉体を生命維持装置に入れて、Faktotumと呼ばれる義体に精神転送して動きまわるか。そんな死を目前にしたAdamにもやれることがある。それは地球の外、宇宙に飛び出していくこと。

もちろん老いた肉体で宇宙に行くのではない。クラスターは無数のゾンデを宇宙に送り出し、1000光年先にまで到達している。ゾンデが行き着いた星は地球と量子リンクで結ばれ、精神を転送できる。そこでは最長1000年かけてゾンデによって運ばれた義体が精神を待ち受けているという仕組み。もちろん量子の絡み合いを利用するのでリンクは光速の制限を受けない。それを使って地球の外に出ていけるのは、Adamのように不死になれなかった人間だけ。彼らはMindtalkerと呼ばれる。地球に131人しかいない。不死を得た人間は地球に縛りつけられる。

クラスターがMindtalkerたちを宇宙に送り出すのは、かつて高度文明を作り上げたMuriahの遺産を探しているから。Muriahは「カスケード」というネットワークを宇宙に張り巡らし、銀河間の物理的な移動すら自由にできるほどだった。1000光年先にゾンデを送るのに1000年かかるクラスターなど足元にも及ばない。ところが、宇宙の高度文明をいくつも滅亡させた「宇宙炎上」を境に、Muriahは姿を消してしまった。それが100万年前の話。

そんなわけで、今回の行き先はCygnus 29だと告げるのは、クラスターの数ある人格の一つBartholomäus。Adamの教育係で、人型の「アバター」に身を包んで登場する。文明の跡を示すオベリスクと宇宙船らしきアーティファクトが見つかったのだ、という。若い頃からの知り合いで、かつてはいっしょに暮らしていたこともあるRebeccaと調査に出かけるが、謎の宇宙船が出現、攻撃を受ける。現地のAIやクラスターの制止を振りきって、Rebeccaを救いに行くAdam、どうにか彼女の義体の頭と胴体を抱えて地球に緊急帰還する。

これが事の始まりだが、ストーリー展開がおもしろくなっていくのは、クラスターに対する疑惑が生まれてから。謎の女性がAdamに接触してきて、「オメガ因子など存在しない」と言う。つまりクラスターは人間を欺いているのだと。Adamは最初それを信じないが、疑いを深めていく。クラスターは何を隠しているのか、Adamは何に巻き込まれているのか? 

と、不死になったらどうなんだろう、人工知能の進化の先には何があるのだろうなどと考えさせられつつも、先が気になってページをめくってしまう。とくにクラスターの意図がわかった後の展開はスリリング。最後にはMuriahや「宇宙炎上」の謎、Cygnus 29で攻撃してきた未知の宇宙船の謎もすべて繋がり合っていたことがわかる、練り上げられたプロット。安心して楽しめると思う。


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2017年1月22日 (日)

ドイツ語多読本: Lilli L'Arronge: Chaos in Bad Berleburg

ひとつのことから連鎖的に事件発生、カオスが現出する・・・?

Lilli L'Arronge: Chaos in Bad Berleburg

79語

バナナを食べてしまった男の子、皮を道路に捨てる。「そんなことしちゃだめでしょ」と言う(たぶん)姉。どうして?と尋ねる弟に姉は言う、「想像してみて」と・・・。

それで、男の子の頭から浮かんでくる吹き出し、その中にバナナの皮を踏んづけようとしている一本の足。

想像が進み、次には足を滑らせたサラリーマンの全身像、バナナの皮は通りかかったおばあさんに向かって飛んでいく・・・そんな吹き出しになって、男の子はほくそ笑む。

次の吹き出しでは、サラリーマンは転んだはずみに立てかけてあったハシゴの頭をぶつけ、バナナの皮はおばあさんの顔に当たり、買い物袋を落とす、そこに手押し車を押してやってくる男性・・・。

というふうに、想像が進むごとに吹き出しも大きくなり、描かれる人や物もどんどん増えていく。最初は怒っていた姉も想像の加速ととも楽しくなっていき、カオスの度も増していく。最後は想像はページ全体に広がり、吹き出しもなくなって、弟と姉はカオスとなった町の中にいる・・・。そんな絵の構成。

バナナの皮に滑ったらハシゴを倒して、上からペンキ缶が落ちてきて、通りかかった人の頭に・・・。とベタな展開だが、それぞれの出来事が連鎖的にさらに事件を引き起こしていくので、それを一枚の絵にして見せられると、絵のいたるところでドラマが展開していて、とてもにぎやかで楽しい。目で物語を読む絵本。


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2017年1月17日 (火)

ドイツ語多読本: Karsten Kruschel: Was geschieht dem Licht am Ende des Tunnels

ドイツSF大賞のベスト短編を紹介したので、同じくSFのKurd Laßwitz賞のほうも。
2016年のドイツ語ベスト短編。

Kurd Laßwitz Preis  2016 Beste deutschsprachige SF-Erzählung

これも電子書籍で読める。紙の本しかなかったら読まなかっただろう。
NOVA Science Fiction Magazin 23: Themenausgabe Musik und Science Fiction

これに収録。

NOVAは半年に一度出ているドイツ語の短編SFのアンソロジー、ということのようだ。
この号は「音楽とSF」というテーマで統一しているが、巻頭言にはテーマ設定をしたのはひさしぶりだとあったので、普段はただの短編アンソロジーなのだろう。ドイツSF大賞ベスト短編が掲載されていたphantastisch!は、出版の動向やら作家のインタビューやら、ハーラン・エリスンの特集記事などがあって、雑誌だったが、こちらは定期刊行のアンソロジー、あくまでも作品メインのようだ。

受賞作の"Was geschieht dem Licht am Ende des Tunnels"は、SF怪奇譚みたいな感じか。
語数は1万語を越える程度の分量。

表題にトンネルとあるが、道路や鉄道のトンネルではなく、坑道。ただし掘るのはゴミの山。廃物が積み重なり、層となった地面に縦穴を掘り、さらにいろいろな深さで横穴を掘っていく。採掘場の周りでは、掘り出された廃棄物から金属やプラスチック類を抽出する工場が煙を吐く。つまり、資源が枯渇した未来の話。

主人公はそんな採掘場の坑夫。冒頭の場面も坑道の中。もちろん資源探しが仕事だが、主人公にはもうひとつ目的がある。それは昔のCD、できればレコードの発掘。この場面でも、見つけたCDにテスターをあてて再生してみたりしている。すると、何か視界をよぎるものがある。いっしょに坑道に入っているパートナーの女性を見ると、彼女も見たらしく「手だ」と言う。そして、なぜか英語で何かを口走る。何を言ったのか聞き返してみるが、彼女は何も答えない。それで得体の知れない恐怖を感じつつ坑道を後にする・・・。

そんな冒頭だが、この女性が口走った英語に注がついていて、Tear For Fearsの"Mad World"の歌詞の一節だと読者にはわかる仕組み。音楽とSFというテーマに合わせた趣向なのだろう。不可解な現象が起こるときに主人公の直接頭の中に響いてきたりと、重要なポイントでいろいろな歌が出てくる。古くは1960年代から2006年あたりまでの歌、十数曲。

その後、主人公は別のパートナーと組んでお宝を発見。その坑道の採掘権を主張、会社に認めさせる。ところが、冒頭場面でいっしょに坑道に入っていた女性がやってきて、あの坑道を会社は放棄するのだと言う。どんな機械を使ってもマッピングできない異常な地域にあるため危険だからだと。そして、これから主人公が入ろうとしている坑道も同じ地域にあるのだ、と警告する。もちろん主人公は聞く耳を持たず、問題の坑道に入っていく。そこで目にするのは・・・?

そんな感じの話だが、不可解な現象を説明する理屈がないので、SFというよりは怪奇譚というか怪異譚というか。用途もわからなくなってしまった機械の残骸や数知れない廃物が積み重なり、押し潰された闇の中を穴を掘って進んでいく、そんないかにもな舞台に出現する不可解な出来事。それは音楽の亡霊か何かなのか?? 随所に現れる歌は闇の中の不可解なものからのメッセージとも読めるようになっている。

状況の異常さや恐怖感、その場の緊迫感などはあらすじの説明では伝わらない。それは描かれる細部に宿るものだろうから。

2つのSF賞のベスト短編を紹介したが、長編はドイツSF大賞もラスヴィッツ賞も2016年は同じ作品が受賞。Andreas Brandhorstの"Das Schiff"。最初のほうを少し読んだかぎりではおもしろそうだが、今は中断。長編はできるだけ一気に読まないとダメなんだよなあ・・・。


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2017年1月11日 (水)

ドイツ語多読本: Frank Böhmert: Operation Gnadenakt

2016年ドイツSF大賞(Der Deutsche Science-Fiction-Preis)、ドイツ語ベスト短編受賞作。

Laudatio 2016 Beste deutschsprachige Kurzgeschichte

"phantastisch! "という雑誌の57号に収録。電子版があったので読んでみた。

phantastisch! Ausgabe 57 (1/2015)

買ってから見つけたのだが、全編掲載しているサイトがあった。
TOR ONLINE: "Operation Gnadenakt (Frank Böhmert)"

ショート・ショート的な長さ。2ページ程度か。まあ、雑誌自体350円ぐらいだったしいいか。他の記事もあるし。

時は2033年。アメリカ大統領が定例の国防省長官との会談時に、"Gnadenakt"プロジエクトについて教えろ、と言う。前大統領からの引き継ぎの手紙に、奈落の底ばかり見て暗鬱になり、まともに未来を見られなくなったら、国防長官に聞いてみろとあったのだ・・・。
それに対して国防長官が言うには、それは最後の最後、藁にもすがる気持ちになった時にしか頼ってはいけないと、手紙にありませんでしたか、軍の頂点にいる大統領であっても知らなくて済むこともあるんですよ、と。

そんなふうに気を持たせてから語られる”Operation Gnadenakt"とは?
Gnadenaktは普通は恩赦とか大赦とか訳されるもの。で、誰に対するGnadenaktかというとヒトラー。つまりヒトラーは生き続けている。死を免れるんだから"Gnadenakt"というわけだが・・・。

当時のトルーマン大統領とその側近は死ぬだけでは罪の償いには足りない、比類のない罪には比類のない処罰を、と考えてヒトラーを生かし続けることにする。アメリカ最先端の医療技術を投入し、生かし続けること98年、今ではヒトラーの年齢は150歳にもなる。もちろん、たとえば延々と拷問を繰り返してやろうなどと考えて生かし続けているのではない・・・。

そんな感じの話。
罪に見合った正当な処罰を与え、正義を行なっているのだという側が、罰を受けるべき非道な悪の側とやっていることは同じになっている、そんな皮肉なのか、これは? そんな疑問符つきの感想にしかならないので、自分で読んで判断してください。

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2016年12月15日 (木)

ドイツ語多読本: Mandy Sutcliffe: Belle & Boo. Gute Nacht, kleiner Hase

「さあ寝ようか」という時の絵本がなぜかたくさんある。
子供を寝かしつける大人の苦労の裏返しなのか(?)、ベッドに入るまでのルーティーンをたどるような話は多い。これもその一冊。

Mandy Sutcliffe: Belle & Boo. Gute Nacht, kleiner Hase

535語

緑のパジャマの女の子BelleとウサギのBoo。

今日も一日たくさん遊んで楽しかった。でももう眠いな・・・なんて、ぬいぐるみをイスに座らせた丸テーブルでお茶を給仕しているBelleはエプロン姿、窓際でクッションに背をあずけて、あくびをこらえているBoo。そんな最初の場面。もう寝る時間?とBooは聞くけれども、その前にお風呂の時間だよ・・・。

それで、次はバスタブに浸かるBelleと、水が苦手なので石鹸の泡で遊んでいるBooの姿。
で、今度はもうベッドに行く時間?と聞くBooに、もうすぐ、でもその前に人形の髪を梳かさないとだめだよ・・・。そんな感じで、Booがたずねるたびに、ぬいぐるみを寝かしつけなきゃ、寝る前のミルクとクッキーがいるよ、次は歯を磨かなきゃ・・・。

そういう寝る前の様々な事柄が終わって、ようやくベッドに行く時間になったかと思うと、Booの眠気が覚めてしまう。騒いで喉が乾いてしまったのだ。Belleが水を一杯持ってくる間に、Booのほうは、よし隠れて驚かせてやろう、Belleはサプライズが好きだから、なんて隠れ場所を探しだす・・・。
さて、Booはどこに身を隠し、Belleはどうやって見つけ出すのか?

小さな動物とコンビを組んだりすると、子供のほうは大人役を演じるのも定番の役割分担か。
Belleはお母さんのような役回り。そうやって大人の真似をしていろいろなことを学んでいくのだろうが、大人の真似をする子供がまたかわいらしかったりもする。


昔風の懐かしい絵柄な気がするのはBelleの髪型のせい? それにまつげが長い。
背景がクリーム色で、必要最小限の物を穏やかな色使いで端正に描いていて、穏やかな絵本。目にやさしい。女の子だけでなく、絵本を選ぶお母さんにも受けそうな絵本。

オリジナルは英語。日本語訳も出ているので人気作家?

ベルとブゥ おやすみなさいの じかん

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2016年12月10日 (土)

ドイツ語多読本: Alexis Deacon / Viviane Schwarz: Ich bin Henry Fink

白い紙に拇印を押して、目とくちばし、翼と足を書き込むと、鳥(フィンチ)。
そのアイディアがおもしろい絵本。

Alexis Deacon / Viviane Schwarz: Ich bin Henry Fink

495語

朱色の拇印で描かれたフィンク、その頭から3つ泡がのぼって、タイトルの”ICH BIN HENRY FINK"。つまり、このフィンクが「僕はHenry Finkだ」と考えているところ。
自我の目覚めというか、思考、想像の発見みたいなものをテーマにした絵本か。

フィンクは群れで暮らしていて、一日中とても騒々しい。どのくらいうるさいかというと、自分が考えていることに耳を傾けることもできないくらい。そんな騒がしい毎日の中、1羽のフィンクが夜の静けさに目を覚ます。そして自分が何か考えていることに気づき、耳を傾ける・・・。

それで、いろいろ考え、想像することが楽しいのだと気づく。自分はものを考えた最初のフィンクなんじゃないか、すごいぞ、なんて思ったり。すると、次の日の朝、怪物が現れる。昨晩の想像(その中の一つが怪物退治)を思い出したのか、Henry Finkは怪物に突進、まんまと食べられてしまって、怪物の胃の中に・・・。

後に続くのは腹の中、白い文字と白い線画で描かれる真っ黒なページ。
こうなると考えるのは楽しいどころか、嫌な想像ばかりだし、次第に自分が誰だかわからなくなってくる。
"Bin ich Henry Fink? Ich bin etwas."と考えていると、次にはこのetwas(何か)もなくなって、"Ich bin"だけになって、ついには「僕」すらもなくなって、"Es ist, dachte er."となる。

この時の絵が、生物が生まれてから死ぬまでの一生であり、死んで土に帰り、そこから木が育って、それを虫や鳥が食べ、それをまた上位の動物が食べ、それもいずれは死んで土に戻り・・・という食物連鎖、大いなる自然のサイクルを描いた一枚絵。

こんなふうに自然の摂理を悟り、大いなる自然の闇に戻っていくのかと思いきや、もちろんそんなことはなく、Henry Finkは"Nein!"と叫ぶのだった・・・。

白い背景に朱色の拇印を使って楽しく軽妙に描かれたフィンクの様子と、怪物体内の真っ黒なページのコントラストが印象に残る。


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2016年12月 6日 (火)

ドイツ語多読本: Michael Roher: Fridolin Franse frisiert

美容師Fridolin Franseがヘアメイク。といっても、幻想と奇想を目で楽しむ絵本。

Michael Roher: Fridolin Franse frisiert

14語

もちろん"Fridolin Franse frisiert"はfr音の繰り返し、頭韻で遊んでいる。
Fridolin Franseが身を沈めているのは髪の毛。そこにはたんぽぽがあったり、イスに乗ったネズミ(?)がいたりと、写実を旨とする絵本でないことはあきらか。

文章はない。見開きで単語がひとつ。"kämmen"とか"waschen"とかFridolinが行っている作業を名指しているだけ。

最初は"kämmen"。
女性が左にいて、その髪を櫛で梳かすFridolinが描かれる。その髪の上にいろいろなものが描き出されている。髪を梳かすというのは、土地を鋤いて耕すのを連想させるのか、農場を描いているようにも見える。農家らしい家があり、いろいろな動物が描かれている。でも、トラクターが引いているのはヘアブラシだったり、なぜかキリンがいたり、ドラゴンが髪の毛を滑り台代わりにして滑っていたりと、発想は自由、その細部を目で楽しむための絵本と言える。

髪の毛は途切れず次のページに続いている。次は"waschen"。
幻想の度は増す。Fridolinが握るシャワーのノズルの下にはティーポッド、その中で体を洗っている人がいて、ポッドの口から流れ落ちる水は池を作り、池の上に張り渡したハンモックにはゾウがいて鼻から水を吐く、その下には宙に浮いた水盤とそのほとりの城・・・。他にも様々なものが描かれている。

そして"Shampoonieren"、"spülen"とページが進んでいくと、水が出てくるせいか、これまで地面だった髪の毛は海のイメージになり、海賊船やらクジラやら潜水艦まで登場・・・・。

あとは、
"schneiden"
"färben"
"einwirken lassen"
"auswaschen"
"eindrehen"
"föhnen"
とFridolinは作業を進め、最後は"fertig!"で終了。
それぞれの場面でどんな連想で何が描かれているかは、実際に見てもらうしかない。切ったり、染めたり、ドライヤーを使ったり、それがどんなイメージと結びつくか。自由な発想と連想その細部を目で追っていく楽しみ。そういう絵本。

アマゾンの洋書バーゲンのページで70%オフで買ったが、今は元の価格に戻っているかもしれない。

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2016年11月28日 (月)

ドイツ語多読本: Guido van Genechten: Es spukt nicht unterm Bett

向こうの人はかなり小さい頃から一人で寝るようにしつけられるという話もあるから、こういう絵本はたくさんあるのだろう。
夜一人で暗い部屋でベッドの中にいると、何やら物音が聞こえる・・・。幽霊??

Guido van Genechten: Es spukt nicht unterm Bett

439語

ベッドの中で何度も寝返り、頭の中をいろんなことがよぎる、眠れない・・・。
と、ベッドの下からギシギシ音がする。おばけだ、パパ!!

パパがやってきて、おばけなんかこの世にいないんだよ、ベッドの音だよ、と言いつつも、ちゃんとベッドの下を確認するパパ。

で安心してまたベッドに入ると、また物音が・・・。こんどはカーテンの裏。そしてまたパパ登場・・・。

というふうに、物音を聞きつけてはパパを呼ぶのを繰り返しているうちに、今度は確認していない場所が気になりだす。物音もしないのにおもちゃ箱の中におばけがいる気がして・・・、パパ!!

もちろん最後は安心して眠ることになるが、それはやはりパパのおかげ。おばけなんかいないと口で言うだけでなく、いちいちベッドの下やらカーテンの裏やら、カーペットの下まで腹ばいになって覗いてみせて、実証していくパパだから安心なのだろう。

描かれているのはペンギンの部屋のみでシンプルだが、背景はやわらかい灰色で目にやさしく、ペンギンも愛嬌があって親しみやすい。あと、部屋の中のぬいぐるみやおもちゃがそれぞれの場面に合わせて表情を変えたり、場所を移動したりしているのは作者の遊び心か。そのあたりにも注目。


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2016年11月24日 (木)

ドイツ語多読本: Eric Carle: Die kleine Spinne spinnt und schweigt

クモは糸をspinnenする生き物なのでドイツ語ではSpinne。とても単純。

Eric Carle: Die kleine Spinne spinnt und schweigt

264語

農場の柵、柵の縦棒と横棒が作る四角形、そこに巣を作るクモ。そこに次々に動物がやってきて遊びに誘うが、クモは黙々と巣作りを続ける。
と、幼児向け絵本なので話はシンプルな繰り返し。

左ページにウマやらウシやらがページをめくる毎に登場して(それからハエも1匹かならずいる)、鳴き声を披露、クモに話しかける。が、クモは無言(クモは鳴かないし)。

右ページには柵の四角形の中に巣を作っていくクモ。
最初は2、3本の線(クモの糸)が描かれるだけだが、ページをめくる毎に線が増え、しだいにクモの巣ができあがっていく。単純な線だけでクモの巣のきれいな形になっていく様子を追っていくのは、大人でも楽しいはず。単純にクモの巣の形は見ていておもしろいし。

左ページのいろいろな動物はカラフルで目に楽しいが、単に筆で線を描き、色を塗り、模様を描くという一般的な絵ではないところが特徴的。紙に色を塗って模様を描いて、それを動物の形に切り取って、白い台紙に貼り付けたように見える。
それも、頭や首、背中から足、また腹の部分など、パーツに分けて切り貼りしている。だから、動物をどういうパーツに切り分けで、どういう色や模様にし、それをどう貼り合わせるかという、工作的な楽しさが感じられる。ちょっと工作心をくすぐるところもエリック・カールの絵本の持ち味。


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2016年11月20日 (日)

ドイツ語多読本: Roald Dahl: Die Giraffe, der Peli und ich

Roald Dahlのドイツ語訳、短めのもの。

Roald Dahl: Die Giraffe, derPeli und ich

7200語

翻訳だと「窓ふき会社」なんとかいうタイトルのはず。

売り家になっているお菓子屋の中をのぞいてみては、店が復活してお菓子がたくさん並んだ様子を思い浮かべる少年Billyだが、通りかかるたびに、ペンキで書かれた「売り出し中」の文句が変わったり、窓から浴槽やらベッドやら落ちてきたりと様子がおかしい。そして、ついに「はしごいらずの窓ふき屋」の看板が出たかと思うと、入り口のドアが巨人でも使うのかという大きさになっている。

すると、3階の窓からキリンの首、それからペリカンが出現、さらに2階の窓にはサルが現れる。話を聞いてみると、3匹で窓ふきをして金を稼ぎたいらしい。お金がなくてお腹がぺこぺこなのだ。そこにハンプシャー公爵のロールスロイスがやってきて、運転手から仕事の依頼を受ける。そしてお屋敷に行ってみると・・・。そういうストーリー。

キリンの首がはしご代わり、木登りが得意なサルがそこを登って高い窓に近づく、ペリカンが何をするのかというと、大きなくちばしで窓を洗う水を運ぶという役割分担。言われてみればなるほど、簡単な話だと思うが、そういうふうに動物を想像して組み合わせる発想ができる人とできない人の差は大きい。

お屋敷に着くと、もちろん窓ふきだけに終わらない一事件があって・・・。もちろん無事解決、3匹の動物だけでなくBillyも望みがかなう。ハッピーエンドだろうなとわかっていても、みんなしあわせになると、なぜかこちらもうれしくなる結末。

最初の方に出てくるペリカンの口の仕組みもそうだが、キリンの伸びる首も、何かメカっぽい感じがするんだが、気のせいか?


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