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2015年5月

2015年5月31日 (日)

ドイツ語多読本:Keiko Kaichi: Der Wolf und die jungen 7 Geißlein

グリムの「オオカミと7匹の子ヤギ」
たびたび紹介しているmineditionの絵本。出版社のページから全ページ見ることができる。

mineditionのページ
(表紙をクリック)
これが絵本デビュー作らしい。


Keiko Kaichi: Der Wolf und die 7 jungen Geißlein

993語

縫いぐるみのように愛くるしい子ヤギ、頭の形が個性的。毛の黒い部分がそれぞれ違う位置にあって、マフラーやら帽子やらで、何やらおしゃれ。

話は言わずと知れたオオカミと7匹の子ヤギ。
表紙からもわかるように、全体に青と緑の多い、おだやかな色合いで、目にやさしい。そして、毛のふわふわ感。

子ヤギは可愛らしく、お人形さんのようだが、オオカミはもっと生き生きしていて、絵的にはこっちも主役級。
お母さんのマネをするおどけた表情もあれば、大きな口にキバ、長い舌をベロンと出して、よだれまでだらだらと、やはり怖さ・気持ち悪さも残しつつ、最後は寝ている間に腹に石を詰められるまぬけぶりまで、飽きさせない。

文章はさっと見たところ、オリジナルのグリム童話と同じようだ。短縮・簡略化したり、やさしく語り直してはいないので、そのつもりで。が、ストーリーは知っているだろうから、まるでわからないということもないだろう。


海外での出版が先で、その後日本語訳が出る、という順番のようだ。
日本語版はこちら。
海一慶子: おおかみと7ひきのこやぎ

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2015年5月28日 (木)

ドイツ語多読本:Martin Ebbertz / Christine Brand: Glück und Pech eines Brustschwimmers

ストーリーは行きあたりばったりで、ありえない展開。ただのナンセンスな話にツッコミを入れながら楽しむ絵本、『平泳ぎ野郎の幸運と不運』。

Martin Ebbertz / Christine Brand: Glück und Pech eines Brustschwimmers

709語

服も脱ぎ捨てたまま海に飛び込み、泳いで行くと、ゴムボート発見。ラッキー。
ところが、ボートはクジラの口に向かって流されていく。アンラッキー。

クジラの歯の間にしがみつき、飲み込まれないように頑張っていると、飲み込んだゴムボートの空気でクジラがゲップ。それで宙を舞い、無人島の柔らかい砂浜に着地。ラッキー。
無人島にはなぜか電話ボックス。助けを呼べるぞ、ラッキー。でも小銭を持っていなくてアンラッキー。

とまあ、そういう感じで幸運と不運が絡み合う、ナンセンスなストーリー。
無人島になぜ電話ボックス? さらに、なぜかサルが電話中? なんてツッコミを入れながら楽しもう。
電話ボックスを改造してボート代わりにまた海に乗り出すと、郵便ポストに捕まって海を漂う遭難者に会う。ポストがあるのに切手を持っていなくてねえ、なんて海の真ん中で、ただのボケかよ・・・。

という感じで、ツッコミを入れながらバカバカしさをおもしろがっているうちに、なぜか最後は元の出発地点に戻ってくる平泳ぎ野郎。その荒唐無稽なバカ話を楽しむ絵本。


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2015年5月25日 (月)

Kobo glo HD: いつものallesebook.deの詳しいレビュー

allesebook.deによるKoboの新モデルglo HDのテスト。いつも紹介しているので。

"Testbericht: Kobo Glo HD"
http://allesebook.de/testbericht/testbericht-kobo-glo-hd-63728/

◎作り
・サイズ:157 x 115 x 9.2 mm、重さ:180gは6インチモデルとしては中位クラス。手に持つと厚さが目立つが、他より厚いというわけではない。(Voyageや6インチAuraより厚いのはあきらかだが・・・)

・見た目、デザインは他よりすぐれている点はない。値段を考えあわせれば納得か。それに無印Kindleよりは安っぽく見えない。

・ベゼルは指紋がつかないし(H2Oとは違って)、光の反射もない。背面はゴム加工でグリップはいい。が、指紋は前面より目立つ。背面の切り込み模様にホコリが入る。
強く握ると、背面からわずかに軋むような音がすることがある。神経質な人は気になるかもしれないが、実用上は問題ないだろう。

・microSDカードスロットがないのは人によってはマイナス。コストを切り下げるためか、あるいはH2Oとの差別化をはかるためか。

◎ディスプレイ
・1448×1072、300ppi、E Ink Cartaのディスプレイは、amazonの最高級モデルKindle Voyageと同じ。(H2Oは6.8インチなので、265ppiになる)

フォントを小さくするとか、直接隣に並べてみるとかしないと、肉眼では300ppiのクオリティは感じられないかもしれないが、212ppiのKindle Paperwhiteとのフォント拡大写真を見ると、差はあきらか。
Glohdvspw1
(リンク先はallesebook.de)
glo HDのほうがシャープなのは解像度の他に、赤外線方式のタッチスクリーンのおかげもある。Paperwhiteのほうは静電容量方式による、軽いゆがみ、光の屈折がある(とくに"H"の文字の左縁)。glo HDにはそれがない。
(赤外線方式と静電容量方式の差を言うなら、同じ300ppiのKindle Voyageとの比較写真が欲しいところだ)


・コントラスト(ライトなし)
Glo_hd_kontrast01

・コントラスト(ライト最大)
Glo_hd_kontrast02
コントラストはライトなし・ありともにハイ・レベルで、Kindle Paperwhiteと同程度。
(H2Oに並ぶのかと思ったら、そうでもないようだ。でも、Paperwhiteと同等なら優秀。問題はないはず)


・明るさ(ライト最大)
Glo_hd_max_helligkeit

・明るさ(ライト最小)
Glo_hd_min_helligkeit
ライト最大時の明るさは高レベルで、屋外など明るいところで読むには有利。ライト最小もこのくらいなら、gloのように暗い場所でディスプレイが明るすぎる、なんてこともないだろう。


・ライトのクオリティ
Glohdvsvoyagebeleuchtung
色味はglo HDのほうが冷たく(青っぽい)、Kindle Voyageのほうが黄色っぽい。
ライトにムラはない。Voyageのようなグラデーションもないが、ディスプレイの下辺に影、あるいは光源のありかが見える。とはいっても、読書の邪魔になるレベルではない。


◎その他
・マルチタッチ(2本指での操作)が可能に(H2OもFW3.15.0にすれば可能)
PDFのズームがピンチ操作でできる。おまけのWebbrowserもピンチ操作で拡大・縮小できるそうだ。
epubでピンチ操作でフォントサイズの変更はできない。

・PDFだけはLandscapeモード(横画面モード)可能。

・Koboはどれもバッテリーの持ちがいいが、glo HDはその中でもすぐれているようだ。


◎まとめ
ディスプレイに関しては、H2OやKindle Voyageのほうがコントラストがすぐれていいるが、表示のシャープさやコントラスト、ライトの明るさ、またムラのなさなど、どれをとっても申し分ない。
microSDカードスロットの省略、また背面のかすかな軋む音は欠点だが、それでも最高レベルの端末の一つに入るのはまちがいない。コストパフォーマンス(129Euro/dollar)も考慮すれば、ベストと呼べるかもしれない。

ざっと目立つところははこんな感じか。

--
あとは個人的な感想。
コントラストは同じ赤外線方式のH2Oと同レベルかと思ったら、そうでもなかったのが予想外。それでもKindle Paperwhiteと同程度なら優秀。問題ないだろう。

値段から考えても、やはりKindle Paperwhiteの対抗馬。Paperwhiteかglo HDかの二者択一なら、glo HDを選ぶのも十分あり。300ppiの表示クオリティはやはり大きい。ぼやけた表示で目を疲れさせたくない。

でも、やはり気にいらないのは、全画面リフレッシュ6ページ毎ってこと。
どのレビューも問題にしないんだよなあ、これ。昔のKobo Touch時代から進歩なし。

何度も書いているが、Kindleは14ページでリフレッシュ。表示の劣化が少ないから14ページまでもつ。が、glo HDやH2Oはその2倍以上の頻度でリフレッシュが必要。ということは、Kindeの2倍以上の速さで表示が劣化するってことだろう。6インチAuraは章単位のリフレッシュ。

これはRegal waveform technologyってやつを使っていないからだろう。Kindleはこの技術を採用しているし、Koboでこれを使っているのは一昨年発売の6インチAuraだけ。去年発売のH2Oも使っていない。

それに、赤外線方式はタッチの反応もよくないし(少なくともgloは)、フラットにできないし、パッとしないんだよな、去年からのKobo。6インチAuraをCartaの300ppiにしてくれたら、迷わず買い換えるんだが・・・。


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2015年5月23日 (土)

ドイツ語多読本:Philip Waechter: Endlich wieder zelten!

長期休暇をキャンプで過ごす様子が生き生きと描かれた絵本。
日本ではバカンスのような長期休暇はないので、その様子を垣間見ることができておもしろい。

Philip Waechter: Endlich wieder zelten!

805語

キャンプ地にある砂浜でジャンプ。夏休みでこれからテント暮らしだ、という喜びがあふれている表紙。

本の中は一般の絵本のように絵に文章がついているのは当然として、その他に、コミック的に吹き出しがあったり、コマ割りで話が進んいくページもあったり、さらにはキャンプに持っていくものやキャンプ地にあるものを一つ一つ図示した、Bildwörterbuch的なページもあったりと、本の形式としてもにぎやかで、楽しい。

あすから夏休みだ、キャンプだ、うきうきと学校から家に向かう町の様子から、キャンプに持っていく物を一つ一つ数え上げていくページへ。これが冒頭部分、キャンプに持っていくものを眺めているだけでも、なにやらもう楽しくなる。

こんなものまで持っていくつもりなの?的な会話があり、こんなたくさんの荷物がなぜか毎年車の中に入ってしまうんだよなあ、なんて驚きつつも出発。そして、忘れ物をして一度引き返すという毎年恒例の展開・・・。そして、長い長い車でのドライブ・・・。そしてようやくキャンプ地に到着。

そして、テントってどうやって張るんだっけと、よくありそうなエピソードがありつつ、いいロケーションにテント設置終了。そして、他に来ている子供たちを探しに他のテントへ・・・。

あとはキャンプ地の様子、キャンプに来ているいろんな人たちの様子、自転車を借りて買い物に出かけたり、サーフィンに挑戦してみたり、雨が続いて最後にはテントが風邪で飛ばされたり、テントで怪談話やら、家族で夜空を眺めたりとか・・・。

そんないろいろなエピソードが、端正で軽妙、そしてカラフルなPhilip Waechterの絵で語られて、キャンプの楽しさが直に伝わってくる絵本。

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2015年5月20日 (水)

ドイツ語多読本:Max Velthuijs: Frosch im Glück

自分一人ならある意味しあわせでいられる。他人と自分を見比べると、いろいろ自分に疑問や不満も出てくる・・・。そんな自意識の落とし穴に落ちてから、そこを抜け出すまでのドラマ。

Max Velthuijs: Frosch im Glück

797語

水鏡に自分を映すカエル。ぼくはきれいだよなあ、誰よりもうまく泳げるし、跳ねられるし、緑は大好きな色だし、カエルだってことは世界で一番ステキなことだよ。

他者を知らない幸福状態のカエルにカモがやってきて言う。でも、君は飛べないだろ、と。
とうぜんカエルくんは飛べるわけもなく、がっかりして悲しくなる。

それで、ちょうどケーキを焼いている最中のブタに話を聞いてみる。ブタが言うには、別に飛べなくてもかまわない、他にできることもあるし、と。冒頭のカエルくんのように自分に満足しているブタ。

じゃあ、とブタのまねをして、自分もケーキを焼いてみるカエルくん。そして、失敗。
ウサギのところに行く。ウサギは本を読んでいて、じゃあ自分の本を読んでみようとするカエルくん。ところが、本も読めない・・・。

そして、涙するカエルくんにウサギが言う・・・・

カエルくんがしあわせを取り戻す理由はまあ、ごく当たり前のことで・・・。

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2015年5月17日 (日)

ドイツ語多読本:Claude Boujon: Der feine Arthur

ドブネズミ三兄弟、その生活の中に想定外の行動をする異分子がやってくると・・・?

Claude Boujon: Der feine Arthur

751語

下水管3本と、いかにも汚そうな黒いネズミの三兄弟、一匹だけ浮いて見える白いネズミ。これがタイトルのお上品なArthur。

見捨てられた建築現場でしあわせに暮らしているネズミの三兄弟。そこはもう自分たちの王国。ただし水曜日は除く。大きな犬がやってくるからだ。

そんな王国に、いとこからの手紙を携えて白いネズミがやってくる。ちょっとこいつをあずかってくれ、という手紙。三兄弟は変なやつだな、本当に親戚かな、なんて思いながらも、隣のドラム缶に住まわせることに。

ところがこのArthur、食事時にはトランクから食器やらナプキンやらを取り出してくる。自分たちのドブネズミ生活からは考えられない行動で、三兄弟は信じられない、なんだこいつ、となる。

さらに、ゴミを漁るときには手袋をする、などなど、気取った態度が続いて、最後には三兄弟もこんなお上品野郎とは気が合わない、追いだそうということになる。そして実行に移すのだが、それが水曜日、つまり犬が来る日だというのを忘れていて・・・。

最後は4匹なかよく暮らすことになる。まあ予定通りの結末。
だが、Arthurが犬をやっつけたりして、見直した三兄弟がArthurを受け入れる、なんて展開を予想をした人はハズレ。同病相憐れむ、それだって連帯感だよなあって話が、とぼけた味わいの絵柄で語られる絵本。

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2015年5月14日 (木)

ドイツ語多読本:Emma Chichester Clark: Schluss mit Kuss

「キスはやめて!!」 サルの男の子の話。
日本ではあいさつがわりにキスする文化はないので、日本ではない感じ絵本?


Emma Chichester Clark: Schluss mit Kuss

305語

キスしようとしてくる、いとこの女の子とアリクイ(?)から木の上に逃げて、「キスはやめろ」の看板を掲げるサルの男の子。そんな表紙。

なぜキスなんかするんだ?と森を見回すと、どこもかしかもキスをする動物たち。でも僕はキスされるのが大嫌いなのだ・・・。

でも、家に帰ってもキスだらけ。こんにちはのキス、さよならのキス、おはようのキス、お休みのキス・・・。いとこのMimiはキス魔だし。それで家族・親戚の前でキスはやめようと演説するが、何の役にも立たない。ちょっとだけラッキーなのはもう自分が赤ん坊ではないこと。赤ん坊がどれだけキスされるか・・・。

そこに赤ん坊が生まれる。弟の誕生。案の定みんなキスの嵐。そして、赤ちゃんが泣き止まないのはキスを嫌がってるからだろ、という僕。

じゃあ、赤ちゃんの面倒を見てちょうだい、とおばあちゃん。
ところが何しても泣き止まない。どうしたんだよ、と途方にくれてつぶやくと、赤ちゃんが目を開ける。
目があった瞬間、おかしなことが起こる。僕はまちがって弟にキスをしてしまう・・・。

とまあ、そんなかわいらしいサルの男の子の話。最後まで、「まちがいで」キスしてしまった、その場を誰にも見られなくてラッキーだった、なんて意地の張り方が男の子。


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2015年5月11日 (月)

ドイツ語多読本:Philip Waechter: Kuchen bei mir

何度も紹介しているPhilip Waechterの絵本をまた。

Philip Waechter: Kuchen bei mir

49語

ビンに手紙を入れて海に。
普通は誰に届くともわからない手紙、そこにロマンがあったりするが、この絵本ではそうではなく、ちゃんと目的の友だちに届く。

開くと左ページに文、右に絵。
たまに見開きで一枚の絵だが、基本、左ページに文章。文章は手紙になっている。手紙を読みながら、それと並行して絵のドラマが進んでいく、二重奏的な構成になっているのがおもしろいところ。

最初ページは、手紙の最初のあいさつ「やあ」の一言。それに対して、右ページには、部屋の丸いテーブルに頬杖をついて文面を考えている様子の絵。

次のページには「元気かい?」の一文。絵では、手紙をビンに詰めている場面。

そして、「ぼくは元気だよ」の一文には、手紙を入れたビンを海に投げ入れる場面。

「また遊びにこない?」の文には、海に浮かぶビン、それをすくおうと網を伸ばす客船の乗客の絵、などなど。

こんな感じで手紙が続き、絵のほうではビンがやがて海岸に届き、それを読む友人、友人は荷造りをする、自転車に乗って遠い道のりを走る・・・・というストーリーが展開する。

そして手紙の最後「じゃあ、また」の結びを読んだところで、絵では友人が家に到着する・・・。

こんなシンプルな構成ながら文と絵の重層的な作りもおもしろく、絵のほうは絵柄も色使いもやさしく、見ているだけで気持ちがいい。Waechterの絵は街の様子も自然の風景も、コミック風ではありながら、とてもくっきりして目に鮮やか。見ていて飽きない。

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2015年5月 8日 (金)

ドイツ語多読本:Michel Van Zeveren: Das Ei

それはオレのものだ、とタマゴをめぐってコントが始まる・・・。

Michel Van Zeveren: Das Ei

145語

タマゴを見つけて大喜びのカエル。ところが、ヘビとワシに、それから表紙の絵では草に隠れてわかりにくいが、オオトカゲ(左下)もその様子をうかがっている。そういう表紙。


ジャングルの奥深く。カエルがタマゴを見つけて「これはぼくのものだ」
ところが、枝からヘビがしゅるしゅる降りてきて、タマゴに巻きついて、「これはオレのものさ」
すると、バサバサとワシが舞い降りてきて、「これはオレのだ」
で、フンフンとオオトカゲ登場、「これはオレのだよな」

と、次々と腕に物を言わせてタマゴを奪おうとする動物たち。ケンカになり、勢いでタマゴがどこかに飛んでいってしまう。その先にはゾウの頭。これはまずい、と思わず目をふさぐオオトカゲ、ワシ、ヘビ、カエル。コブができて怒ったゾウは「このタマゴは誰のだ?」

すると打って変わって、しらばっくれるオオトカゲたちの表情の憎たらしいこと。今度は逆の順番に「オレのじゃない、こいつのだ」と、責任を押しつけあっては、最後にはカエルのものだということに・・・。

さあ、絶体絶命のカエルくん、ゾウにとっちめられるのか、と思いきや、責任を他人に押しつけようとする動物たちの醜態にあきれたのか、ゾウはカエルにタマゴを返すだけ。あれ、こんなはずじゃなかったのに、というオオトカゲ、ワシ、ヘビの表情がおかしみを誘う。

これで円満解決、ストーリーは終わってもいいところだが、もうひとつオチがある。

つまり、タマゴが話に出てきたら気になるのは、生まれてくる動物は何かってこと。
そして、無事カエルのものになったタマゴは最後に割れて、また「これは僕ものものだ」という声がする。さてこの声の持ち主は・・・?

タマゴの奪い合いがタマゴの押しつけあいに急転するコミカルな展開に動物たちの表情もくるくる変化して、最後のオチでダメ押しの、楽しい絵本。

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2015年5月 6日 (水)

ドイツ語多読本: Mein großes Usborne Bildwörterbuch、もう1冊Bildwörterbuchを

以前の「Bildwörterbuch 2冊」に続き、児童向け絵入り辞書をもう1冊

Mein großes Usborne Bildwörterbuch

収録語数は1000語程度

気になるページの中身は、表紙に見える通りの構成。白い背景に色々なもののイラストに単語がつく。
ページ毎に家とか台所とか乗り物といったカテゴリーの単語が並ぶ。

ただ、前に紹介した2冊は見開きで一つの場面を表す大きな絵が描かれ、その中にある物に単語がついている。
今回の辞書はそういう場面全体を描く絵がない。白地に物の絵が羅列されているだけ。絵は親しみやすいが、1ページに40以上もイラストがあったりして、ごちゃごちゃして、ちょっと見ていて息が詰まる感じもする。

好みは前の2冊の形式。
場面全体の絵があると多少なりともドラマがあるし、見ていて飽きが少ない。が、全体像がなく、白地に物の羅列だけだと何やら暗記を強制されているような気持ちになる。1ページあたりの単語数も多いし、見ていてちょっと疲れる。


本を読むというのはけっきょく、その時の場面・状況、コンテクストをどこまで想像できるかにかかっている。
単語の意味は文を見なければわからない(辞書にある意味のどれを選ぶかは文から判断するしかない)し、ひとつひとつの文だって文脈なしには理解不能だ。たとえば「それはすごい」という文にしたって、感嘆しているいるのか、褒めているのか、逆に皮肉でバカにしているのか、文脈なしには理解できない。つまり、単語を理解したかったら文が必要だし、文を理解したかったら文脈が必要。つまり、つねにより大きなコンテクストを想像しないと単語も文も理解できはしない。

だから、単語の意味を一つずつ順番に当てはめていけば外国語はわかるという発想は間違いで、むしろより大きなコンテクストをつねに思い描きながら読まないと、その当てはめすらできないというのが正しい。そして、そういうコンテクストを想像する力はバラバラの単語の暗記では養われない。やはり実際にたくさん文章、つまり本を読むしかない。

で、辞書に話を戻すと、全体の俯瞰図があるほうが個々の単語にコンテクストあるわけで、そこに想像によって何かドラマを補って見ることもできる。つまりは物語を見つけやすいので、飽きずに眺められる。だから前に紹介した2冊の辞書のほうが見やすいし、印象に残りそうだな、という感想になる。


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2015年5月 3日 (日)

ドイツ語多読本:Jutta Bauer: Opas Engel

お見舞いに行くといつもおじいちゃんは話を聞かせてくれる。暗い病室でベッドに横たわるおじいちゃんの話を聞く・・・。

小型絵本
Jutta Baurer: Opas Engel

223語

大型のはこっち

おじいちゃんの回想・・・
学校に行く途中に広場があって、そこに大きな天使像があったが、あまり気にも止めなかったと、かつての少年のおじいちゃん、何も知らずに天使像の脇を通り過ぎるが、その象から天使が抜けだして・・・。
これが表紙に描かれている場面。

ことあるごとに天使は少年を助ける。バスに引かれそうになったときには、必死にバスを押しとどめる、高い木から飛び降りたり、深い湖に飛び込んだ時にも、天使は助けに走る、などなど。だが、天使の姿は見えない。だから、少年は自分には勇気があるんだ、なんて呑気に信じられる・・・。

少年は大きくなっていき、さらに大人に。
ナチスの腕章をつけた大人をからかい、黄色い星をつけた友だちの不安も理解できず、その友達が突然いなくなっても不思議に思うばかりだったが、戦争が始まり、食糧難、戦後の生活難・・・。つねに天使はそばにいて手を差し伸べる。

結婚し、子供が生まれ、家を建て、やがて孫も生まれる。いつでも見守る天使の姿がそこにある。
そして、晩年「運がよかった」という感慨があるばかり・・・。
なぜなら、天使の姿は本人には見えないから。その姿を見ているのは本の読者だけ。

そして、ラストは病室に戻る。
おじいちゃんは疲れて眠ってしまったと思い、静かに部屋を出る少年。
でも、おじいちゃんの枕元には天使の姿。それは臨終の瞬間。

病院の外、夕暮れの広場はまだ明るく、温かい。いい一日だったと足取りも軽い少年。そして、その後ろをゆらゆらと天使がついていく・・・。

と、そんな印象的な場面で締めくくられる物語。

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