ドイツ語の本を読めるようになるには
田村隆一という詩人が「どうやったら詩人になれますか」と聞かれて、「詩を書くことによって」と答えていたが、これ、理屈では答えになっていない。「どうやったら詩人になれるか」は「どうやったら詩が書けるか」と聞いているようなもの。「だから、その詩の書き方を聞いてるんだって」と言い返したくもなっても仕方がない。もちろん田村隆一はそんなことは承知の上で、そう答えている。
理屈抜きで、ただもう飛び込んでやってみるしかないものは、おそらく確かにあって、たぶん外国語も同じ。どうしたらドイツ語で読書が楽しめるようになるのか、という問いには、不合理かもしれないが、ドイツ語で読書を楽しむことによって、という答えがあるのみ。
言葉はつねに具体的なものと結びついていて、読書というのは、それらを仮想的に見たり、聞いたり、触ったり、匂いをかいだり、味わったりすることだ。ヴァーチャルにではあるが、五感を使ってひとつの世界を体験することだ。本の中で誰かが足の小指をぶつけたら、思わず自分も顔をしかめたり、おいしそ うな料理が出てきたら、お腹がすいてきたり、誰かがおどけたら、いっしょに笑ってしまったり、そういうふうにして読むから読書は楽しい。で、その世界をどういう日本語に訳するかなんてことは、読書の本質ではない。
だから、外国語の本を読んでいて大切なのは、「訳語が思い浮かぶか」ではない。読んで場面が「見えているか、聞こえているか、感じられるか」だ。
こう言うと、「訳さないと場面も思い浮かぶはずがない」という人が出てきそうだ。そういう人に対してはもう、理屈抜きでやってみてください、と言うしか方法はない。訳さずに読んでみよう、訳という制約から解き放たれると、どんなに楽しくなるか体験してみよう、と。
詩が書けるようになるには、詩人になったつもりで、いくつも詩を書いてみるしかないように、ドイツ語で読書が楽しめるようになるには、何冊も何冊もドイツ語の本を楽しんで読む(もしくは、そういうつもりで読む)ことがどうしても必要だ。そうしているうちに、ごちゃごちゃと訳文を頭で考えながら読むことを忘れ、ちゃんと五感を使って話を体験していくようになる。そのためにはやさしい本、今の自分でも楽しめる本を探して読むことが大切。
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